公開5日目の夕方。ドルビーアトモス版を上映するシアター1には私を含めて7人と惨憺たる客入りだ。
映画の話
現役を退きジャマイカで穏やかな生活を送っていたボンドのもとに、CIA出身の旧友フェリックス・ライターが助けを求めにやってきたことから、平穏な日常は終わりを告げる。誘拐された科学者を救出するという任務に就いたボンドは、その過酷なミッションの中で、世界に脅威をもたらす最新技術を有した黒幕を追うことになるが……。
映画の感想
ビリー・アイリッシュの歌う暗い主題歌が暗示する様に衝撃的な内容だった。
物語は前作「007 スペクター」とつながっているので、突然本作から見る事はお勧めできない。 出来ればダニエル・クレイグがボンドを演じた「007 カジノ・ロワイヤル」「007 慰めの報酬」も見ておいた方が良い、って言うか、本作は長く続いたクレイグ版ボンドサーガの最終章としてみる事がベストだろう。
本作は非常に感想を書きづらい。あれこれ書くとネタバレになるのでざっくりと書く。
以下ネタバレ注意
幕開けはボンドではなく本作ヒロイン・マドレーヌの幼少期の惨劇からのスタートだが、能面姿の暗殺者やすりガラスを使った演出はホラー映画の様だ。
その後、月は流れてやっとボンドの登場となるが、これまた厄介な「007 カジノ・ロワイヤル」のヒロイン・ヴェスパーの墓参り、という記憶の対決から一気にド派手なアクションに突入する。
凄すぎるカーアクションやバイクアクションは近年の「ミッションインポッシブル」など、他のスパイ映画がアクションのハードルを上げてしまったので、老舗ブランドの007もグレードの高いアクションも観客の度肝を抜く演出で観客を魅了する。
しかし、今回はボンドの宿敵スペクターは物語の背景となり、今回のボンドの敵は「007 カジノ・ロワイヤル」と「007 スペクター」に登場したミスター・ホワイトに家族を殺されたサフィンという悪党で、冒頭に登場した能面姿の男だ。演じるのは「ボヘミアン・ラプソディ」でフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックだ。 もうミスター・ホワイトとか私の記憶から抜け落ちてしまい、物語を理解するのか大変だ。そのサフィンの生い立ちがセリフと写真で語られるのだが、この生い立ちも物語の大事な要素だけに映像で描くべきだったし、映像で描くことでサフィンに感情移入しやすかったと思う。
そして、公開前から噂になっていたボンドの後継者の「新007」も登場する。
しかも黒人女性という噂通りのキャストだが、スパイとしては妥当なのだろうが、華の無いキャスティングにはがっかりだ。
多分これはポリティカル・コレクトネスと呼ばれる人種の平等性を重視した配役だと思われるが、もう少し、名の通ったキャストは選択出来なかったのだろうか?
更に本作にはボンドの〇まで登場する。あえて〇で表記したが、何かボンドの恋だの家族など私は違う様に思う。あくまでもボンドというプロフェッショナルのスパイの活躍を期待していたのに、そっちに舵を切られると違和感だけが残った。
まぁ、本作は悪役も小物でその武器も細菌兵器というビジュアル的にピンとこない兵器で、悪役は日本庭園の様な場所に隠れているのだから始末が悪い。やっぱりスペクターの様な強大な悪が相手でなければダメだ。たとえば北朝鮮が最近公開した列車搭載のミサイル発射装置など、あれくらいバカみたいにビジュアルインパクトのある兵器が見たかった。
ラストはボンドの盟友フィリックス・ライターの件もあり喪失感で一杯で、あの暗い主題歌はボンドやライターへの鎮魂歌として受け止めるのが正しいのかもしれない。
この暗い喪失感を補う様にルイ・アームストロングが歌う「女王陛下の007」の挿入歌「愛はすべてを超えて」まで流れてしまう。劇中もジョン・バリ―が書いた「女王陛下の007」のスコアが流れていた。
何か暗澹たる喪失感の中でエンドロール後のお馴染みのテロップが唯一の救いとなった。本編が終わったと慌てて帰らぬ様に。